午後の日差しがまぶしい音威子府です。▼
青空にキハ54のステンレスの車体が映えます。背景の緑の山々に、赤茶けたレール。とにかく絵になります。▼
残念ながら今日は定休日。でも、定休日でなくても15:30で終わりなので、どのみち無理でした。4年前に来たときは、営業していましたのでそのとき食べておけば良かったです。何度でも来たい場所ですが、次はいつ来るかわかりません。▼
駅構内の天北線(てんぽくせん)資料室です。▼
天北線は音威子府からオホーツク海側に浜頓別を経由して南稚内に至るルートで、1989年に廃止となりましたが、本来こちらが宗谷本線でした。▼
在りし日の音威子府構内のジオラマです。▼
16:18発鬼志別行き宗谷バスです。今年の10月で音威子府・中頓別間はバスからジャンボタクシーにさらに転換されるということでしたが、Wikipediaに更新された記事によると、輸送力の問題で今回のバス廃止は見送ったそうです。いずれにしても、鉄道から転換されたバスですら存続が危うい過疎路線であることは変わりません。▼
乗客は数人はおり、貸切にはなりません。▼
国道275号線で天塩国から北見国へ抜けます。▼
天北峠を越え、中頓別町に入りました。▼
浜頓別まで45kmもあります。稚内は遥か137kmの彼方です。▼
中頓別バスターミナルに到着しました。今回ここまでが廃止対象路線でした。▼
駅跡には天北線で活躍したキハ22が展示されています。▼
浜頓別の市街地を進みます。この先でオホーツク沿岸を稚内方面に北上してそのまま旧天北線に沿うルートと、枝幸方面に南下して旧興浜北線(こうひんほくせん)に沿うルートに分かれます。▼
クッチャロ湖を左手に見ながら、稚内に向けて北上します。▼
国道238号オホーツクラインをひた走ります。▼
猿払で音威子府行きのバスとすれ違います。天北線の線路跡を利用した道道1089号線です。▼
道道1089号線から再びオホーツクラインに戻り、夕暮れるオホーツク海沿岸をひたすら進みます。▼
宗谷の原野に沈む夕陽です。▼
18:20鬼志別バスターミナルに到着です。お疲れ様でした。▼
バスターミナルの付近を散策すると、まだ標識は相変わらず鬼志別駅です。▼
駅前旅館もきちんと営業しています。今度はこういうところに泊まってもいいかなとも思います。▼
昔の光今何処な”洋品呉服の店”。▼
と思っていたら、同じ屋号の店が隣できちんと営業していました。まだきちんとバスターミナル周辺は駅の機能を十分果たしています。▼
日も落ちたので、誰もいないバスターミナルで20:22発稚内行最終を待ちます。▼
天北線鬼志別駅を偲ぶ数々の展示物です。▼
風雪に耐えた駅名標です。独特の字体。こういうのは見ていて飽きません。▼
20:22発の稚内行きのバスが到着しました。どうやって過ごしたのか、もう1時間40分経ってしまいました。▼
もうすぐ宗谷岬です。本来天北線は鬼志別から内陸を走りますが、Wikipediaによると天北線に沿った転換バス路線も、今は宗谷岬を通る天北宗谷岬線に統合されてしまったそうです。▼
日本最北端の碑が見えます。▼
ここで、やっと1人乗車がありました。▼
最北端(たぶん)の中学校に余計な接頭語は要りません。▼
22:00稚内に到着。音威子府から5時間42分(乗車時間4時間00分)のバスの旅お疲れ様でした。▼
列車で来れば19:30に到着していますし、運賃も旭川からの青春18きっぷがそのまま使えましたので音威子府からの追加料金は¥0でした。¥4,160もバス代を使ってしまいましたが、今とっても満足です。また冬にでも乗ってみたいです。¥4,160以上の価値がありそうです。▼
ホテル美雪の和室に泊まります。お湯を沸かして一息搗きます。▼
定宿になっているフェリーの2等寝台は寝て1畳ですが今夜は8畳もあります。大の字になってバスの揺動の余韻を感じながら、そのまま眠りに就きます。お休みなさい。
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