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2016年8月29日月曜日

音威子府→稚内:旧天北線路線バスの旅

2016/8/10 水曜日

午後の日差しがまぶしい音威子府です。▼

青空にキハ54のステンレスの車体が映えます。背景の緑の山々に、赤茶けたレール。とにかく絵になります。

残念ながら今日は定休日。でも、定休日でなくても15:30で終わりなので、どのみち無理でした。4年前に来たときは、営業していましたのでそのとき食べておけば良かったです。何度でも来たい場所ですが、次はいつ来るかわかりません。▼

駅構内の天北線(てんぽくせん)資料室です。▼

天北線は音威子府からオホーツク海側に浜頓別を経由して南稚内に至るルートで、1989年に廃止となりましたが、本来こちらが宗谷本線でした。▼

在りし日の音威子府構内のジオラマです。▼

16:18発鬼志別行き宗谷バスです。今年の10月で音威子府・中頓別間はバスからジャンボタクシーにさらに転換されるということでしたが、Wikipediaに更新された記事によると、輸送力の問題で今回のバス廃止は見送ったそうです。いずれにしても、鉄道から転換されたバスですら存続が危うい過疎路線であることは変わりません。▼

乗客は数人はおり、貸切にはなりません。

国道275号線で天塩国から北見国へ抜けます。▼

天北峠を越え、中頓別町に入りました。▼

浜頓別まで45kmもあります。稚内は遥か137kmの彼方です。▼

中頓別バスターミナルに到着しました。今回ここまでが廃止対象路線でした。▼

駅跡には天北線で活躍したキハ22が展示されています。▼

浜頓別の市街地を進みます。この先でオホーツク沿岸を稚内方面に北上してそのまま旧天北線に沿うルートと、枝幸方面に南下して旧興浜北線(こうひんほくせん)に沿うルートに分かれます。▼

クッチャロ湖を左手に見ながら、稚内に向けて北上します。▼

国道238号オホーツクラインをひた走ります。▼

猿払で音威子府行きのバスとすれ違います。天北線の線路跡を利用した道道1089号線です。▼

道道1089号線から再びオホーツクラインに戻り、夕暮れるオホーツク海沿岸をひたすら進みます。▼

宗谷の原野に沈む夕陽です。▼

18:20鬼志別バスターミナルに到着です。お疲れ様でした。▼

バスターミナルの付近を散策すると、まだ標識は相変わらず鬼志別駅です。▼

駅前旅館もきちんと営業しています。今度はこういうところに泊まってもいいかなとも思います。▼

昔の光今何処な”洋品呉服の店”。▼

と思っていたら、同じ屋号の店が隣できちんと営業していました。まだきちんとバスターミナル周辺は駅の機能を十分果たしています。▼

日も落ちたので、誰もいないバスターミナルで20:22発稚内行最終を待ちます。▼

天北線鬼志別駅を偲ぶ数々の展示物です。▼

風雪に耐えた駅名標です。独特の字体。こういうのは見ていて飽きません。▼

20:22発の稚内行きのバスが到着しました。どうやって過ごしたのか、もう1時間40分経ってしまいました。▼

もうすぐ宗谷岬です。本来天北線は鬼志別から内陸を走りますが、Wikipediaによると天北線に沿った転換バス路線も、今は宗谷岬を通る天北宗谷岬線に統合されてしまったそうです。▼

日本最北端の碑が見えます。▼

ここで、やっと1人乗車がありました。▼

最北端(たぶん)の中学校に余計な接頭語は要りません。▼

22:00稚内に到着。音威子府から5時間42分(乗車時間4時間00分)のバスの旅お疲れ様でした。▼

列車で来れば19:30に到着していますし、運賃も旭川からの青春18きっぷがそのまま使えましたので音威子府からの追加料金は¥0でした。¥4,160もバス代を使ってしまいましたが、今とっても満足です。また冬にでも乗ってみたいです。¥4,160以上の価値がありそうです。▼

ホテル美雪の和室に泊まります。お湯を沸かして一息搗きます。▼

定宿になっているフェリーの2等寝台は寝て1畳ですが今夜は8畳もあります。大の字になってバスの揺動の余韻を感じながら、そのまま眠りに就きます。お休みなさい。

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2016年8月28日日曜日

旭川→音威子府:宗谷本線北上・旧名寄本線を偲ぶ旅

2016/8/10 水曜日

旭川の朝です。今日は宗谷本線を北上します。▼

10:31比布行きキハ40です。▼

他の写真を使いまわしても分からないくらい、いつものスタイルで出発です。

石狩川を渡ります。青い空と、白い河原が綺麗です。▼

10:54終点の比布に到着。お疲れ様でした。▼

エレキバンのCMで樹木希林が立ちつくしていたあの駅です。▼

構内の特産物コーナーの奥にはカフェがあります。4年前車窓から見たときは30年前のCMのまんまで、こんなに綺麗な駅ではなかったと思います。さっきまで、アラサーくらいのコミュニティ紙記者と思しきおしゃれなお姉さんが特産物コーナーの取材をしていました。もうエレキバンのCMには使えなさそうです。▼

お姉さんが(たぶん車で)帰ったあとは、アラサーくらいの同業者氏だけしかいません。お互い邪魔にならないように、写真を撮っていたりカフェで食事をして時間を潰しています。(写真は”りんごディニッシュ”¥160也と”しそジュース”¥380也)▼

11:48名寄行きが入線します。同業者氏と並んでカメラを構えます。▼

跨線橋が目立つのでもう少しキハが前まで出てきた方が良かったのですが、次に繋げられないので、ここは「いい塩梅です」と言うことにしておきましょう。


同業者氏も「いい塩梅」だったようなので、ここで自然と「こんにちは」して、一緒に列車に乗り込みました。同業者と意気投合するのは久しぶりです。いつもは、大体この辺で外国人や地元住民に、乗るべき列車等、他にも人がいるのになぜ自分に、ということを聞かれたりしていて、「人が良さそうでマヌケな顔しているのでアイツなら大丈夫」とでも思われているのかなぁと悲しんでいたりします。


同業者氏は、1週間の夏季休暇を利用して宗谷本線の全駅下車を目指しているそうです。宗谷本線は本数が少ないので、降りた駅から数km歩いて隣の駅に行き、1~2時間くらい散策したら、来たときとは反対の列車に乗り途中下車し、また歩いて隣の駅に行くのを繰り返すとのことでした。(写真は塩狩)▼


さらに同業者氏は、「ガラケーしか持っていないのでこれだけでやっています。」と、歩く経路と列車の時間を記した地図(Googlemapを印刷したもの)をカバンから出して見せてくれました。

私なんか、これだけでやっています。これだけ。
デリシャスじゃなくてデリーシャスよ。奥さ~ん

と、エレキバンの次は竹村健一氏のCMが頭の中でリフレインし始めましたというのは嘘で、北士別まで同業者氏とひたすら乗り鉄談義をしていました。(写真は士別・北士別間の手毬川)

同業者氏が下車した北士別を過ぎると以前から気になっているSLが見えてきました。もうすぐ終点の名寄です。

12:52名寄に到着です。昨年の夏はここから旧名寄本線を辿る遠軽までの路線バス走破の旅でした。今年はもう少しディテールにこだわってみます。▼

跨線橋から見える行きどまりの留置線は旧名寄本線のようです。その先に行ってみましょう。▼

その先には、さっき車窓から見たSLが展示されていました。▼

この地にしかないキマロキ編成です。先頭の9600型機関車(キ)の後には雪をかき集めるマックレー車(マ)。▼

その後ろには集めた雪を線路外に飛ばすロータリー車(ロ)が続き、最後尾にさらにD51型機関車(キ)が続きます。▼

ロータリー車の羽根も蒸気機関で動きます。かつての北海道は、採掘した石炭の力でSLを走らせ、雪かきもしていました。▼

キマロキのすぐそばにあるに名寄北国博物館に入ってみます。▼

約500年前のアイヌの住居。アイヌの人たちは、自然をカムイ(神)と呼び、自分達をアイヌ(人)と呼んで、自然との調和の中で生きてきたそうです。

明治から昭和初期の住居。ストーブは牧や石炭が燃料でした。ちなみに、1970年代自分が入学した小学校では、1~4年生の教室は石油ストーブで、5~6年生の教室は石炭ストーブでした。

戦後のモダンな住居。昭和50年のSL廃止とともに学校からも石炭ストーブは姿を消しました。

誰もいない名寄本線西名寄駅跡で昼食をとることにしましょう。大概初めは数人の同業者がいますが、気がつくといつも1人になってしまいます。博物館でもずっと1人でした。この気の長さが、人に安心感を与えていると思えば、老若男女国籍問わず写真を頼まれたり、時間を聞かれたりすることも嬉しくなります。

旭川駅で買った「蝦夷わっぱ」を頂きます。

1時間半の散策を終えて駅に戻ってきました。名寄からはキハ54の単行です。石炭から石油に代わった現代の汽車で北上を続けます。ここでまたさっきの同業者氏と会いました。1駅歩いてきたそうです。今年のダイヤ改正で、名寄から先の本数が減らされたので、興味のない人には「なんの罰ゲーム」かと思われるかも知れませんが、同業者氏は意気揚々としています。

今日はまさに鉄道日和。14:36名寄を出発です。

北海道の夏の風物詩の干草ロールを見ながら、さらに北を目指します。

15:38音威子府に到着。途中、南美深で同業者氏は下車。あと何度か駅間徒歩と乗下車を繰り返して、今日のゴールのこの駅に到着するとのことでした。さすが、もうそんなことはできない(しない)年なので羨ましく思ってしまいます。

この列車は17:07まで約1時間半ほどこの駅で停車です。普通列車乗り鉄には年々厳いダイヤになって来ています。

このまま、宗谷本線の旅も続けたいですが、今回は鉄道から転換された路線バスさえも廃止されそうな旧天北線跡を宗谷バスで稚内まで走破します。単行列車どころでは無くなってきました。アラフィフだからといっても「もう、若くないさ」と言い訳している場合ではありません。

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