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2016年10月15日土曜日

粟島汽船「フェリーあわしま」乗船記

2016/10/10 月曜日

午前7時。朝食です。こういう戦前に建った民家のようなところで食事をするのは久しぶりです。このあと、直ぐにご主人がテーブルに来てお話しを始めました。この料理屋は曾おじいさんの世代からとのことで、映画館の施設もあったそうです。(卵焼きと油揚げ入りのお浸しがおいしかったです。)▼

同世代と思しきご主人は文学などの造詣が深く、特に村上春樹氏は大学生のころからのファンとのことで、自分も同じクチなのでなぜかいきなりこの話で盛り上がりました。近所には、あまりこの手の話をする人がいないので、こういう話ができる旅人と語るのはとても楽しいとのことでした。その他旅館経営などのお話もされ、色々とご苦労はあるとは思いますが、サラリーマンでは無く「一国一城の主」という生き方に少し憧れてしまいました。(写真は白菜のお味噌汁に地元の鮭)▼

お隣も旅館(宿泊したのは奥の日本料理松屋)ですが、今はこの2軒くらいで、かつては数多くの駅前旅館があったそうです。▼

坂町駅に来ました。8:45発村上行きに乗ります。▼

読み終わって1年くらい経った1Q84。学生時代を思い出して、昨年久しぶりに買った同氏の本がたまたまかばんの中に入っていました。チェックアウトの際にご主人に見せると、「おー1Q84」と唸っていました。こんなところで使えるとは思ってもいませんでした。(これで、この本を読んでいたことを思い出して、今、第2巻を読み始めました。)かばんは旅行の期間に応じて替えますが、旅の七つ道具はとりあえずごそっと入れ替えるだけなので、すでに用済みのものや前の旅で買ったおみやげなどがよく紛れています。実はこれでもA型なのですが...▼

羽越本線で村上に向かいます。▼

ドアは手で開けます。115系のしきたりです。▼

荒川を渡ります。秩父を流れる武州の荒川と違いこの川は鮭が昇って来るそうです。▼

村上に到着。実際、村上春樹氏にまつわるイベントも行われているそうです。昨年と同様町屋の屏風まつりが開催中です。坂町に比べると観光には向いている町です。

ここから9:42発の乗り合いタクシーで粟島行きの船が出る岩船港まで行きます。タクシーは30分前までに予約が必要です。

岩船港に到着。タクシーの乗客は1人。メータは¥2,000くらいでしたが、乗り合い料金として¥700でした。タクシー会社は実費と手数料を粟島浦村に請求するのでしょう。3人乗ればちょうどペイしますが、ここで収益がマイナスでも港へのアクセス手段を設けることで、少しでも島にお金が落ちやすくなるということでしょう。タクシーは村上駅を経由して岩船港と病院・大型スーパーなども結んでいるので、これは主に島の住民向けのサービスですね。▼

今日の第2便10:30発粟島汽船「フェリーあわしま」。第1便の高速船は波が高いために休航でした。

荷物を置いてとりあえず場所を確保。

早速デッキに上がってみます。一定間隔で釣り人が並んでいます。

船の前方に出てみましょう。うっすらと粟島の島影が見えます。

この船は新潟鉄工所製。北海道を走るキハ54なんかと同じ会社で製造されました。

防波堤に打ち寄せる高い波。

船首にはざっぱ~んと波が押し寄せます。一回だけ潮をかぶりました。とにかく大揺れです。

遠くに見える岩船沖油ガス田。Wikipediaによると現在国内で唯一操業している海底油ガス田です。

出港から30分くらいエキサイトしてデッキを隈なく巡回していましたが(この高潮でそんなことしている人は誰もいません。)、船室に戻った瞬間気持ち悪くなってきました。やはり船が600tと小さいので、揺れが大きいです。酔い止めは持って来ませんでしたので、景色が見えるデッキに再び戻りました。こちらのほうがまだましですが少し寒いです。デッキへの出入り口で青い顔をして座っている人もいましたし、トイレも気分の悪くなった人で満室でした。

私の記憶が確かなら高校生のときに読んだ北杜夫氏の「どくとるマンボウ航海記」の船が600tだったと思います。この本は私の船旅への憧れの原点のひとつですが、氏はこんな船で世界を回遊したとはまだまだ修行が足りぬと思いながら粟島の到着までガマンしました。

12:15。1時間45分の航海をなんとか持ちこたえ粟島に無事上陸。天気はとても良いです。

「フェリーあわしま」。青空に船体の白さが映えます。

高速船「awalineきらら」。こちらも綺麗な船体です。

港のそばにある粟島火力発電所。こんなに小さな発電所は初めて見ました。

このあと14:00の高速船も結局欠航となりました。最終便の普通船までの持ち時間は約3時間です。島内にバスもありますが、この時間ですとダイヤの都合が良くないようです。▼

ということで、自転車に乗ります。観光案内所の方によると気合を入れれば2時間で島を一周できるとのことですが、島内は急な坂が多いので少し大変かもとおっしゃっていました。

とりあえず、お食事処「みやこや」で昼食を頂きます。この店は民宿も営んでいます。

わっぱ煮を頂きます。メバルなどのこの島で獲れる魚を焼き石で煮て頂きます。お味噌とねぎが絶妙の味でした。元来味覚が鈍感なのと、不器用なので、魚料理の正しい楽しみ方はよくわからないのですが、とにかく自分流で頂きました。骨の多い魚は苦労します。

店内は完全貸切状態です。このあと、店の女将さんが座敷にやって来て食事をしながらしばしお話しました(坂町の宿といい、一日で2回もこういうことがあるのは初めてです。)。お話によるとここ2年くらい温暖化で、漁師のだんなさんの漁獲量も減ってしまったこと、釣りの宿泊客が少なくなってしまったこと、などが悩みだそうです。この連休は海も荒れていて、欠航などは離島経済には厳しいとのことです。

お腹も膨れたところで、再び、自転車を漕ぎ出します。付近には海水浴場もあります。途中小学校では運動会が開催されている様子でした。「みやこや」の女将さんは、今日は運動会のため営業している店も少ないと言っていました。商売より運動会が優先される島。とても微笑ましいです。

3Kmくらいのんびりと海岸沿いを走ったところで、「上り坂」の標識です。▼

10%の上り勾配。自転車から降りて転がしても結構大変です。▼

途中何度もめげそうになりながらも、展望台に到着。お食事処からここまで、誰もいませんでした。根性無しの割にはよくがんばりました。

西のほうを見ると、なんと佐渡島のくびれ部分の切れ間が見えます。苦労して登ってきて良かったです。佐渡島って以外に大きいのですね。こんどはあちらに行ってみたくなりました。

本土側の月山方面を望みます。青い山々が綺麗です。裏の山形側から左沢線攻略を兼ねたアプローチなどと新たな妄想が沸いて来ました。▼

この先はまた下りで先に釜谷という集落がありますが、ここを降りてまた登る気力も体力も尽きましたし、帰りの船の時間も迫りましたので、元の道を引き返します。まだ見ぬ島の裏側も楽しむには宿泊したほうが良さそうです。

帰り道の岩礁の上には海鵜がいます。観光案内所の方によるとバードウオッチングにも最適な島とのことでした。▼

水平線の左側にはうっすらと鳥海山が見えます。ふもとの酒田から飛島に行けますが、船の便数が少ないので、粟島よりぐっとハードルは上がります。

のんびりしすぎたせいか港に戻ってきたのは出港5分前。最後、自転車をかっ飛ばしてなんとか間に合いました。観光案内所の方に「結局、どこまで行かれたのですか?」と聞かれて、展望台まで行ったことを告げると、「う~」とひれ伏され「それは、お疲れさまでした~」と言われてしまいました。実はあそこまでいく人はあまりいないのですね。▼

高速船が3便欠航となったおかげで、2等船室は満室ですが、1等船室も同様の状態で、事実上等級の差がなくなってしまいました。▼

今日は、あの坂を自転車を押して登りました。とても疲れたので、この後は30分ほど船室で寝てしまいました。▼

往路に比べ波も穏やかになり、入港まで船首のデッキで過ごします。▼

佐渡のくびれに沈む夕陽。残念ながら雲で見られません。▼

徒歩乗船者でありながら皆自家用車で帰ります。パーク&ライド方式です。▼

やはり雲で船と一緒に夕陽が撮れず残念。▼

さあ、帰りはどうしましょう。実は復路の乗り合いタクシーの予約を忘れていました。まだ明るいので岩船町駅まで歩こうかと思っていたら、空車の乗り合いタクシーがまだ止まっていました。2名の予約のうち1名はキャンセル、もう1名はいつまで経っても姿を現さないとのこと。「往路の予約のときに復路の予約もするのを忘れました。(嘘ではないですね。)」と運転手さんに言ったら乗せてもらえました。▼

結局、連絡なしキャンセルの方のおかげで、再び1人乗車の乗り合いタクシーで村上駅に到着。▼

駅のホームから木立の向こうに見える夕暮れの空。夕空の向こうは今日の思い出がいっぱいです。▼

新潟行きE129系で帰りましょう。この車両に乗るのは初めてです。▼

いつものスタイルで今日一日を回想します。▼

新潟駅に到着。船旅のためだけに過去1年でここに4回も来ています。▼

あとは思い出を乗せて新幹線で帰るだけです。▼

2日間の秋の旅はこれで終わりです。