午後4時都営新宿線森下まで来ました。
墨田川”新大橋”です。最初の橋は1693年に5代将軍綱吉によって架けられたそうです。この橋より1つ上流の両国橋は当時”大橋”と呼ばれていたのでこの名前がついたそうです。このまま両国、蔵前と上流へ進めば浅草の吾妻橋にたどり着きますが、今日は墨田川を河口に向かって下ります。
江東区常盤1-1
そう、ここは奥の細道のスタート地点。正確にはここから50mほど離れた江東区常盤1-3の芭蕉稲荷神社が芭蕉庵ですが、芭蕉はここから千住まで船に乗るので、この散策ではここをスタート地点とさせていただきます。(芭蕉稲荷神社に寄るのを忘れました。)
「草の戸も住み替はる代ぞ雛の家」1689年5月16日、東北・北陸を経て大垣までの旅を始めたのでした。新大橋が架かる4年前のことです。
ゴールの大垣で詠んだ「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」の”ふたみ”とは伊勢の”二見”のこと。この後伊勢参りをしたあと生誕の地に旅したので、本当のゴールは今年1月の関西本線の伊賀上野です。
”いがこうづけ”ではありません。(参照:http://hi-centigrade.blogspot.jp/2013/01/blog-post.html)
芭蕉庵の背後にそびえ立つ東京スカイツリー(芭蕉像の後ろの建物裏あたりに芭蕉庵があったといわれる芭蕉稲荷神社があります。)
芭蕉が、”奥羽長途の行脚只かりそめに思ひたちて”、わざわざやってきた奥羽本線周辺では、「逆だろう?」といわんばかりに駅の広告がこればかりでした。おかげさまで25周年。みんなスカイツリーのそびえ立つTYOの行きたいのです。
おくの細道とは逆に進んで初めての橋は清洲橋です。
芭蕉が旅立ってから87年後の1776年、平賀源内がここで電気実験にいそしんでいました。
墨田川大橋をくぐる水上バス。松本零士氏プロデュース「ヒミコ」です。
お台場から浅草まで行きます。スカイツリーがイスカンダルのようです。卑弥呼といえばヤマトですが、スカイツリーの高さは634m(ムサシ)です。戦艦大和と武蔵は同型艦なので、スカイツリー=ムサシ=ヤマト=ヒミコということなのでしょうか?どちらにせよ奥羽本線周辺ではTYO=武蔵の国=ヤマト(日本)の首都です。松本零士氏をインスパイアした宮沢賢治のIGRいわて銀河鉄道はおくの細道のさらに奥です。おくの細道のさらに奥...新たな課題が課せられました。
つづいては永代橋。どんどん隅田川を下りましょう。
リベットがいっぱいです。大正ロマンあふれる帝都を彷彿させます。
夕日に映える中央大橋です。佃島を結びます。
佃大橋。昭和39年の完成です。
佃大橋ができるまでは船で渡っていたそうです。
住吉神社の新宮神輿。関東ではめずらしい八角神輿です。
勝鬨橋が見えてきました。ついに河口です。TYOタワーが見えます。
背後には佃大橋。中央大橋の橋塔もライトアップされています。武蔵スカイツリーと江戸タワーの両方を見る絶好のポイントです。
夕暮れの勝鬨橋。いつ見てもきれいです。
リベットがいっぱい我らが帝都の勝鬨橋を渡りましょう。
中央大橋と永代橋がきれいです。
跳開部分。今はもう開きません。
築地に渡り終えました。
日比線築地駅より帰ります。
隅田川・新大橋-清洲橋-墨田川大橋-中央大橋-佃大橋-勝鬨橋の散策終わり。