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2016年9月3日土曜日

枝幸→紋別:旧興浜南線・旧名寄本線路線バスの旅

2016/8/11 木曜日

旧興浜北線北見枝幸(きたみえさし)駅跡です。現在は枝幸バスターミナルとなっています。渡島半島の江差(えさし)駅と区別するために“北見”が付いているようですが、江差駅も廃止されてしまいましたね(廃止前の江差線散策はこちら)。以前は、バスターミナル内に旧興浜北線を偲ぶ展示品があったようですが、今はここから徒歩20分くらいのところにあるオホーツクミュージアムえさしに移動したそうです。次のバスの発車時刻までの散策の猶予は1時間。移動時間を考えると、ミュージアムではゆっくりと過ごせないので、駅跡周辺を散策します。▼

真っ直ぐと伸びる記念碑の前の道路。これが、旧興浜北線そのものだったようです。さらにここ北見枝幸から旧興浜南線の終点雄武(おうむ)まで鉄道を敷設する計画があり、旧興浜南線、旧興浜北線は、興浜線として浜頓別と興部を結ぶ路線として計画されていました。もし、この路線が完成していたら、稚内から網走まで、鉄道でオホーツク海沿岸を縦断することができました。▼

すぐそばにある一級食堂。外壁の木材、円筒型の石油タンクがいい味を出しています。営業中の幟が見えますが、玄関フードの中に入っいるので、今日は休業。少しお腹も減ってきたので、中を覗いてみたかったのですが、ミュージアムとともに次回のお楽しみにします。▼

旧興浜南線、旧興浜北線は無くなりましたが、これらを結ぶバスは今でも健在です。16:10発雄武行きで出発です。完全貸切ということはなく、それなりに地元住民の足になっています。

オホーツク海に注ぐ川。大体このような眺めです。▼

鉄道に替わって北の海岸を縦断する国道238号オホーツクラインをひた走ります。途中、所々の集落で定期を持った高校生が降りていきました。各集落周辺は駅ができる予定でした。

17:17終点の雄武に到着。お疲れさまでした。

4年前の夏、宗谷本線のキハ40のクロスシートで名寄まで向かいになったおじさんがこの町の町会議員でした。北海道も高齢化が進み、産業が衰退しているのが悩みとのこと。「時刻表持っているけど、土地の人じゃないね。」と言われたので、「神奈川から来ました。」と言ったら、「金沢は一度行ったことあるよ。」と間違えられましたが、そのままおじさんの金沢旅行の話は続き、「神奈川なので帰りは稚内から羽田まで飛行機で帰ります。」と行ったら、「そうかぁ。羽田から小松に飛ぶのかぁ。そりゃいい考えだね。」と、何故か成立しない会話が途絶えることなく成立していました。別れ際に、「若い人頑張ってよ」と、漁協役員と町会議員の肩書が記された名刺を頂きました。

そんな思い出に浸りながら、道の駅雄武の中に入ってみます。▼

ここは旧興浜南線の終点雄武駅でした。

キハ03レールバス。走っていたのは自分が生まれる直前までですが、こんなのは乗ってみたかったです。▼

今日の目的地紋別行き最終バスまで、しばしここで時間を潰します。

誰もいない道の駅の展望台からオホーツクを眺めます。

旧興浜南線・興部方面を見ると、鉄道の路盤らしきものが見えます。あそこに行ってみましょう。

かつては、このまま遥々網走まで鉄道が敷設されていました。▼

道の駅の隣の7時で閉店してしまうAコープ雄夢(“夢”であることに注意)でジュースと菓子パンを買いました。北海道でしか買えない(たぶん)ロバパンです。

時刻は18:05。さあ、紋別に向かってラストスパートです。

車中“やわらかばななん”をつまみながら、夕暮れるオホーツクを望みます。

旧興浜南線の終点興部に到着。ここからは旧名寄本線となります。

興部駅跡は鉄道公園になっています。(下記2点は昨年の夏に撮影した写真です。)

道の駅興部内に展示してあるの興浜南線・名寄本線を偲ぶ写真。さよなら運転だけは、人が集まります。

日が沈みました。▼

もうすぐ今日の宿泊先の紋別です。現代の興浜南線・名寄本線はずっと貸切状態です。始発から自分以外の乗客はいません。▼

19:20紋別バスターミナルに到着。天北線と名寄本線の点と点が線で繋がりました。稚内からのオホーツク縦断のバスの旅お疲れさまでした。▼

今、紋別駅を偲ぶものはこれだけです。▼

ふと空を見上げると上弦の月。▼

冬は流氷が到来する静かな街の闇に紛れます。
明日は、オホーツク海沿岸を路線バスで行ける所まで行きます。

(続きはこちら

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