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2015年7月19日日曜日

宇部→門司:関門海峡散策・関門汽船「かんもん」乗船記

2015/7/11 土曜日

今年になって3回目の山口県への出張。今回は土日を挟んでいるので、関東からは盲点となるこの県で2日間の乗り鉄をします。

宇部から117系で下関に向かいます。本当に中国地方は国鉄型車両の宝庫です。

下関に到着。実に20年ぶりです。前回も福岡への出張の空き時間で来ました。

門司までは415系電車。国鉄型車両を満喫です。

関門トンネルに入りました。

関門海峡の海底を通り門司に到着。

ここからは交流区間。813系で門司港まで行きます。相変わらず九州はカラフルです。

門司港に到着。前回来たときは雨でした。

レトロの街ということですが、非常時には崩れそうな階段です。

ここから船に乗って再び下関に戻ります。

関門汽船「かんもん」より見た関門橋です。かつては「海をまたぐ吊橋」として、日本ーの長さでした。トラックで日本縦断する「火曜日のあいつ」を見ていた小学生の頃は憧れの地でした(最終回でバッファロー号が飛ぶのは関門橋?と勝手に記憶しています。違ってたらすみません。)。

対岸の唐戸に到着です。

ふぐ刺しぶっかけ丼880円也をいただきます。食べるラー油。ふぐらーをぶっ掛けます。

もう7月。やはり暑いです。じりじりと照りつける日差しの下ではアイスもすぐに溶けてしまいます。

唐戸市場は大賑わいです。

解けたアイスで汚れた手を洗うつもりで入った市場ですが、ちょっとばかりお寿司を頂きます。

唐戸市場から関門橋まで歩いて来ました。付近は壇ノ浦の古戦場跡。ここで猛きものもついに滅びました。

さらにえっちらおっちら火の山ロープウエイの乗り場まで登ってきました。

関門海峡を眺めながら登ります。

かの有名な関門海峡なのに、大賑わいだった唐戸地区に比べ本当に人がいません。3階建ての展望ビル。たぶんレストランだったのではないのでしょうか?昭和の時代は賑わったのでしょうか?諸行無常の響きが聞こえてきそうです。

左が門司、右が下関です。下りのロープウエイでは、おねえさん(自分と同じくらいですが、一応ここではこう言うみたいです。)が、「誰も乗っていませんが、上りのロープウエイのおねえさん(自分と同じくらいですが、一応ここではこう言うみたいです。)に手を振りましょう。」と言っていました。

昭和の香りのするロープウエイを降り、関門トンネル人道入口まで来ました。

国道2号のおにぎりもしっかりとあります。前回は門司方面から下関に渡りました。

再び福岡県に戻ります。Wikipediaによると関門橋を渡れない「走れ!ケー100」は分解されてここを通ったそうです。もうそのエピソードは思い出せませんが、たぶんそれも関門橋の原風景のひとつです。

下関側から見た橋とあまり区別がつきません。まだお兄さんだった20年前、Bob Jamesの曲であなたのコックピットにお邪魔する「歌うヘッドライト」を毎晩聞いていた中学生時代を思い出して、この地に来ました。ようやくネットが使えるようになった頃でしたが、まだまだ世間はアナログの世界。社会人になって初めてフィルム式の一眼レフを買ったときの感動は忘れられません。でも、いまはコンデジさえあれば良く、時代の価値観は変わりました。まさに盛者必衰の理を現しています。

干珠島と満珠島が見えます。2台あるロープウエイの名前もこれにちなんでいました。

人道トンネルの出口から少し歩くと旧型客車を引いたEF30があります。

和布刈(めかり)バス停。20年前は門司港駅からここまでバスで来ました。雨に打たれ兎にも角にも関門海峡と思っていたころに比べると成長したようです。壇ノ浦で勝利した源氏が滅びても、”国敗れて山河あり”です。バス停は今でもここにあります。何も心配することはありません。

兵どもの夢の跡には、平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線のトロッコ列車があります。客室乗務員は、やはりこの地でいうおねえさんです。

トロッコ列車で門司港に戻ってきました。

ここから日豊本線方面に向かいます。
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