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2015年6月23日火曜日

八高線高麗川→東武越生線西大家:太平洋セメント専用線廃線跡の散策

2015/6/21 日曜日

八高線高麗川まで来ました。

今日はここから太平洋セメント専用線の廃線跡を散策します。直線距離的には実家から10kmくらいですが、この駅で降りるのは初めてです。

ちなみに、こちらがここまでの八高線205系3000番台前面展望です。

入間川を渡り東京都から埼玉県へ。お茶畑を眺めながらののどかな昼下がり。女性乗務員による運転と懐かしい眺めで何気に癒されました。

腹ごしらえも武蔵野の味。八王子駅の肉ねぎ汁うどんで済ましてきましたので、準備に抜かりありません。

散策に戻ります。高崎方面に歩いて初めての踏切。手前が八高線、一番奥が川越線です。高校生だった頃は八高線も川越線もキハ30の走る未電化区間でした。交換駅には転轍テコと腕木式信号が普通にありました。

中央がかつて太平洋セメント(合併前は日本セメント)埼玉工場に続いた専用線です。

高崎方面にさらに歩いたところで踏切を渡ります。

渡ったところでちょうど踏切が鳴り、高崎方面行きのキハ110が通り過ぎて行きました。

すぐにまた踏切があります。

そう、これが太平洋セメント専用線です。今は”ポッポ道”という遊歩道になっています。

進行方向右手に続く道。この下には秘密が隠されています。こちらにいって見ましょう。

しばらく行くと看板があります。

この先秩父の武甲山まで、この道伝いに23.4kmもの石灰石のベルトコンベアが続いています(詳しくは武甲鉱業のHPをご覧ください)

再びポッポ道まで戻って来ました。遠くに工場が見えます。ベルトコンベアもこの下を通っているようです。

ポッポ道のゴール。太平洋セメント埼玉工場です。

地下から地上に出たベルトコンベアと思われるパイプ。

秩父で採石された石灰石はここでセメントに加工されます。

工場を抜けると、さらに線路らしきものが続いています。

堤はここで切れていますが、まだまだ先に続きます。

東武線へ続く廃線跡を歩いていきましょう。

轍の上を進みます。途中道なき道を進まなければならないため、しばし迂回しながらの前進です。

踏切跡のようです。こんな所にセメント列車が走っていたとは今まで知りませんでした。

この季節。あじさいが満開です。

道なき道の中にもモーゼの十戒のごとく道が現れます。

東武越生線との合流地点が見えて来ました。もうすぐ西大家駅に到着です。

駅周辺は昭和の佇まい。これでも営業中です。Suicaで来ることのできる時空の旅です。

スペースインベーダのピンボールを発見。1973年ならぬ”1978年のピンボール”です。王選手が800号を打ったこの年、ペプシ300が2本買える100円は小学生にとっては大金でした。この後の1980年台、Solid Stateの世界を生き残るべく青少年は興奮しました。(この話が分かるのは、40代後半以上です。)

駅はこの時間は無人です。列車はワンマンですが本数は1時間に4本もあります。

終点の越生に到着。お疲れさまでした。

1時間に1本の八高線です。気動車区間であることは「♪発破かけたげる。さあカタつけてよ~」という歌が流行った1Q84年から変わりません。

八王子からはテクノポリス東京行きで帰ります。

太平洋セメント専用線廃線跡の散策終わり。






2015年3月29日日曜日

秩父鉄道・三峰神社バスの旅

2015/3/22 日曜日

西武池袋線で飯能まで来ました。この駅でスイッチバックをして秩父に向かいます。

西武4000系電車。いつものスタイルで出発です。このまま高麗川に沿って進みます。

西武秩父に到着。跨線橋から武甲山を望むことができます。西武線沿線に住んでいた子供の頃はセメントを積んだ貨物列車をよく見かけました。

歩いて5分のお花畑駅。今日は秩父鉄道で三峰口方面に行きます。

いい塩梅です。

終点の三峰口に到着。お疲れさまでした。荒川に沿って走るこの路線、三峰方面は実に34年ぶりです。

SLの転車台に人だかりが出来ています。C58牽引のパレオエクスプレスがこの路線の目玉です。

SLの方向転換が終わり、たくさんの人が駅まで戻ってきました。

人がいなくなったところで、転車台のほうに行ってみましょう。

古い車両がずらり。貨車は中にも入れます。有蓋車は袋詰めのセメントを運搬していたそうです。

台車に吊られている枕梁の構造が良くわかります。本当の専門は違うのですが、このところの仕事では機械系の知識が必要になっていますので、とても面白いです。

C58が入線して、先ほどまで誰もいなかったホームに人だかりが出来ています。

ご当地アニメ「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」のキャラクタで大賑わいです。

パレオエクスプレスが去った後は誰もいなくなってしまいました。いつもと同じ人とは逆の行動です。仕事のスタイルもこんなものでしょうか?マイノリティでも年を取るほど、天然記念物の扱いを受け重用されることもあるので、最近はそんな生き方も悪くないと思うようになりました。

誰もいないバス停で一人バスを待ちます。三峰神社行きのバスが来るまで飯能駅の売店で買った三種の神器で腹ごしらえです。

三峰神社より奥地には進めないと思っていましたが、秩父湖をさらに越えた中津川渓谷行きのバスも一日4本出ているので、更なる攻略ポイントがあることか判りました。

中学の林間学校ではここで下車をしてキャンプ場まで向かいました。数年前まではロープウエイで三峰山山頂までいけたようですが、老朽化で廃線となってしまったようです。

旧道は内部で国道140号と県道が分岐するトンネルです。物心がついた頃父と二人だけの初めての車での遠出。父の運転するホンダN360のギアチェンジに憧れながらでこのトンネルを抜けました。もう43年も前のことです。楽しみにしていたこのトンネルも、2年前迂回路が出来て閉鎖されてしまいました。またひとつ自分の原風景が失われてしまいました。

二瀬ダムに到着。おぼろげながら覚えています。

ダムの止水壁の上をバスは進みます。

九十九折の山道を経て終点の三峰神社に到着。50分のバスの旅でした。

まずビジターセンターに寄ります。我らが甲武信ヶ岳のジオラマ。荒川の源流です。ここで降った雨は隅田川の勝鬨橋から東京港へ流れ、小笠原・伊豆諸島への船を押し出します。竹芝桟橋発の小笠原航路は挑戦してみたいですが週1便なので、まずは伊豆諸島からということになりそうです。

甲武信ヶ岳甲州側。笛吹川から富士川となって身延線沿いに下り、太平洋に注ぎます。笛吹川散策も今後の課題です。

甲武信ヶ岳信州側。山頂の雨は長野県内は千曲川として小海線・しなの鉄道・飯山線に沿って、新潟県内は信濃川として万代橋より新潟港へ流れ、北海道航路への船を押し出します。小海線は一部・飯山線は全線未踏です。飯山線の先は会津若松への只見線。ジオラマを見ているだけで次々と妄想が広がります。

参堂に続く道。午後の木漏れ日と共に父と巡った43年前の追憶が今甦ります。

さあ、お参りしていきましょう。

日本武尊の像。秩父には山火事から日本武尊を守った山犬伝説があります。長瀞の宝登山は「火止山」が転じたものと、以前宝登山ロープウエイの案内の方が話してくれました。今三峰山ロープウエイがあればどんな話が聞けたでしょう。航路・鉄道・バス路線と共にロープウエイも廃線の一途を辿っています。

妙ヶ岳が見えます。中学の林間学校では清清しいあの山の頂上まで登りました。山頂には三峰神社の奥社があります。

山犬信仰の厚い神社の鳥居まで戻ってきました。鳥居を通して白岩山と雲取山が見えます。妙ヶ岳と併せて”三峰”を望める山が三峰山ということのようです。ちなみに雲取山は東京都最高峰で、あの山の向こうはロープウエイ・ケーブルカーの宝庫奥多摩です。奥多摩湖から出ずる多摩川河口はいつもの旅の終着の羽田空港。今度はどこに行きましょうか?ここでも妄想炸裂です。

みそおでん3本200円也をいただきます。幼少の頃から秩父に来たらこれです。とにかく味噌がうまいです。物価も味も40年前から変わっていないような気がします。

バス停に戻ってきました。16:45の終バスで秩父市街に戻ります。

エメラルドグリーンの秩父湖。二瀬ダムの止水壁の上を再び渡ります。

17:30三峰口に到着。羽生行きは17:32発車ですが、このままバスで終点の西武秩父まで行くことにしましょう。

途中の踏み切りで電車に抜かれましたが、到着時刻はほとんど変わりません。

18:00西武秩父に到着。1時間15分のバスの旅でした。

日没も過ぎ。あたりは暮れてきました。

子供の頃憧れだった特急レッドアローで帰ります。

秩父鉄道・三峰神社バスの旅はこれで終わります。