2015年7月20日月曜日

門司→徳山:スオーナダフェリー「ニューくにさき」乗船記・国東半島の旅(2回目)

2015/7/11 土曜日

門司港から小倉まで来ました。

ここから日豊本線を南下します。

行橋に到着。ついでに日豊本線をコンプリートです。

さらに南下して、英彦山を源流とした山国川を越えて大分県に入ります。

中津に到着です。

ここで宇佐行きに乗り換えます。

This train is bound for USA!

関門海峡を越えてUSAにやって来ました。本州から見たら九州は海外です。生まれて初めて乗った飛行機も羽田発福岡行きでした。その翌年2度目の飛行機の旅で乗ったのは、成田発アメリカン航空米国サンノゼ行き。サンノゼからはシアトル、ロチェスター、ボストンと寄って、サンノゼに戻ってくる2週間のcoast to coast の一人旅でした。眩暈がしそうな時代から20年。自分に変化があったかなかったかは良く分かりませんが、時は過ぎ行くものではなく、積み重なるものだと思います。

原点回帰の一人旅を続けましょう。今年1月の旅とは逆方向に進みます。(前回の旅はこちら

大交北部バスで竹田津港に向かいます。

国東半島は放射状のリアス式海岸が続き、丘陵地のトンネルと海を交互に繰り返す路線を進みます。

幕式の運賃表示器。このごろはあまりお目にかかれません。

センターラインも無い道を進みます。竹田津港はもうすぐです。

「とまります」のボタンの下には何故か少女のイラスト。前回は気がつきませんでした。逆方向の旅でまた見えてくるものもあります。

竹田津港に到着。ここで降りる乗客は自分1人。前回の旅でもここから乗る乗客は自分1人でした。

すぐに国東行きの国東観光バスが発車。国東→杵築と国東半島の別サイドの経路もあることに気がつきました。竹田津港へのアプローチこれだけではすまなくなってしまいました。

出港の午後7時までまだ30分ほどあります。待合室だか物置だか分からないところで休憩です。

前回は外のベンチで日向ぼっこをしていた猫も雨が降っているので、今日はここでまったりとしています。

小倉駅で買ったかしわ鶏めしを頂きます。

ニューくにさきに乗船です。船体には前回はなかったラッピングがされています。

椅子席には誰もいません。

徒歩乗船は自分1人。座敷1ブースを独り占めです。他には乗用車の1家族とライダー2人だけ。

竹田津港の売店で買ったたまごを頂きます。

右舷のみにあるファンネルがあるのが特徴の「ニューくにさき」。煙を吐きながら九州を後にします。午後7時を過ぎてもこの明るさ。西日本は本当に日が長いです。やはりここは海外です。

船内での営業は自販機のみですが、暖かいものが食べたくなりました。

右舷前方を進む阪九フェリー。今日の配船から新門司17:30発「いずみ」と思われます。ということは、あの船に乗れば洋上の「ニューくにさき」を拝めるということです。瀬戸内海航路の目標がまた一つできました。

日が暮れてきました。この航路。写真に取ると水平線が丸く見えます。

周防灘を横断して再び本州の地を踏みます。

午後9時徳山港に入港です。

2時間の船旅、お疲れさまでした。

徳山駅からは新山口行き115系です。

2両編成の115系で宇部まで帰ります。

関門海峡散策・国東半島・周防灘船の旅はこれで終わりです。明日は美祢線の旅です。
(続きはこちら

2015年7月19日日曜日

宇部→門司:関門海峡散策・関門汽船「かんもん」乗船記

2015/7/11 土曜日

今年になって3回目の山口県への出張。今回は土日を挟んでいるので、関東からは盲点となるこの県で2日間の乗り鉄をします。

宇部から117系で下関に向かいます。本当に中国地方は国鉄型車両の宝庫です。

下関に到着。実に20年ぶりです。前回も福岡への出張の空き時間で来ました。

門司までは415系電車。国鉄型車両を満喫です。

関門トンネルに入りました。

関門海峡の海底を通り門司に到着。

ここからは交流区間。813系で門司港まで行きます。相変わらず九州はカラフルです。

門司港に到着。前回来たときは雨でした。

レトロの街ということですが、非常時には崩れそうな階段です。

ここから船に乗って再び下関に戻ります。

関門汽船「かんもん」より見た関門橋です。かつては「海をまたぐ吊橋」として、日本ーの長さでした。トラックで日本縦断する「火曜日のあいつ」を見ていた小学生の頃は憧れの地でした(最終回でバッファロー号が飛ぶのは関門橋?と勝手に記憶しています。違ってたらすみません。)。

対岸の唐戸に到着です。

ふぐ刺しぶっかけ丼880円也をいただきます。食べるラー油。ふぐらーをぶっ掛けます。

もう7月。やはり暑いです。じりじりと照りつける日差しの下ではアイスもすぐに溶けてしまいます。

唐戸市場は大賑わいです。

解けたアイスで汚れた手を洗うつもりで入った市場ですが、ちょっとばかりお寿司を頂きます。

唐戸市場から関門橋まで歩いて来ました。付近は壇ノ浦の古戦場跡。ここで猛きものもついに滅びました。

さらにえっちらおっちら火の山ロープウエイの乗り場まで登ってきました。

関門海峡を眺めながら登ります。

かの有名な関門海峡なのに、大賑わいだった唐戸地区に比べ本当に人がいません。3階建ての展望ビル。たぶんレストランだったのではないのでしょうか?昭和の時代は賑わったのでしょうか?諸行無常の響きが聞こえてきそうです。

左が門司、右が下関です。下りのロープウエイでは、おねえさん(自分と同じくらいですが、一応ここではこう言うみたいです。)が、「誰も乗っていませんが、上りのロープウエイのおねえさん(自分と同じくらいですが、一応ここではこう言うみたいです。)に手を振りましょう。」と言っていました。

昭和の香りのするロープウエイを降り、関門トンネル人道入口まで来ました。

国道2号のおにぎりもしっかりとあります。前回は門司方面から下関に渡りました。

再び福岡県に戻ります。Wikipediaによると関門橋を渡れない「走れ!ケー100」は分解されてここを通ったそうです。もうそのエピソードは思い出せませんが、たぶんそれも関門橋の原風景のひとつです。

下関側から見た橋とあまり区別がつきません。まだお兄さんだった20年前、Bob Jamesの曲であなたのコックピットにお邪魔する「歌うヘッドライト」を毎晩聞いていた中学生時代を思い出して、この地に来ました。ようやくネットが使えるようになった頃でしたが、まだまだ世間はアナログの世界。社会人になって初めてフィルム式の一眼レフを買ったときの感動は忘れられません。でも、いまはコンデジさえあれば良く、時代の価値観は変わりました。まさに盛者必衰の理を現しています。

干珠島と満珠島が見えます。2台あるロープウエイの名前もこれにちなんでいました。

人道トンネルの出口から少し歩くと旧型客車を引いたEF30があります。

和布刈(めかり)バス停。20年前は門司港駅からここまでバスで来ました。雨に打たれ兎にも角にも関門海峡と思っていたころに比べると成長したようです。壇ノ浦で勝利した源氏が滅びても、”国敗れて山河あり”です。バス停は今でもここにあります。何も心配することはありません。

兵どもの夢の跡には、平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線のトロッコ列車があります。客室乗務員は、やはりこの地でいうおねえさんです。

トロッコ列車で門司港に戻ってきました。

ここから日豊本線方面に向かいます。
(続きはこちら