2021年6月15日火曜日

日高・高麗神社参拝・富士山(標高221m)登頂記

2021/5/9 日曜日

拝島まで来ました。▼

駅構内にはリゾートやまどりが留置されています。

狭山茶どころ情けが厚い八高線の車窓。


高麗川で下車しました。ここに来るのは6年ぶりです。


この辺りはもう「マルフク」エリア。

高麗川の河原では親子連れが水遊びをしています。

高麗神社にお参りします。8世紀初頭、高句麗から渡来してこの地の長官となった高麗王若光を主祭神として祀る社です。

本殿をお参りした後に水天宮に登ってみます

登る途中、本殿を望みながらしばし休憩。

えっちらおっちら登ること10分。水天宮まで来ました。

神社の神職を代々務めてきた高麗家の住宅。17世紀に建てられた推定されるこの建物は国指定重要文化財となっています。

高麗神社から少し歩いたところで、ゴルフ場に向かう道に入りました。

瀬音と共に鶯の鳴き声がします。

道端の斜面にはその先に進むのには少し勇気がある階段があります。▼

旧道と思われる道はガードレールまで草木に覆われています。▼

ゴルフ場を過ぎ少し歩いたところで、なんと富士山の表示!山道を進んで見ます。

ひたすら山道を進み続けます。

急斜面が現れました。山頂はもうすぐです。

富士山に登頂成功!

国土地理院の地図にある通り、ここはれっきとした「富士山」です。

ちゃんと三角点もあります。

「白銀平」の展望台。

展望台からの眺め。関東平野が一望できます。

太平洋セメント埼玉工場が見えます
。富士山から工場方向に進みましょう。

太平洋セメント埼玉工場までの石灰石は秩父の武甲山から武甲鉱業の23.4kmもの地下トンネルのべルトコンベアで運ばれています。
武甲鉱業HP(http://www.buko-mining.co.jp/yusou.html)より抜粋

べルトコンベアは地中にありますが、時折り露出している所があります。

高麗川を渡るべルトコンベア。西の空は夕陽に染まっています。

高麗川を渡った後は、この下の地下トンネルを通ってセメント工場まで石灰石を運びます。

なんとか日没前に
べルトコンベア路の現場検証を終えました。散策で疲れたので武蔵野うどんでも食べたかったのですが、この御時世のため休業中でした。

高麗川駅に到着。山中では誰とも合わなかった散策でした。

日高・高麗神社参拝・富士山(標高221m)登頂記はこれで終わります。

2021年6月10日木曜日

津久井湖散策・城山(標高375m)登頂記

 2021/5/4 火曜日

今日は横浜線橋本駅から神奈中バスに乗ります。

城山ダムの止水壁の上をバスは進みます。

クラブ前で下車。これから周辺散策をします。▼

三井大橋に到着しました。

橋から見た津久井湖の眺めです。津久井湖は1965年に相模川を堰き止めて建設された城山ダムによって形成された人工湖です。相模原市民だった頃以来10年振りの訪問。当時津久井湖記念館で水没前の集落やダム建設の展示資料を見て、何故か何の脈絡もなく北アルプスの黒部ダムに行きたくなってしまいました(その時の旅行記はこちら)。

今日は10年前のリベンジ。まず津久井湖観光センターで案内図をもらいます。▼

ついでに相模原緑区のゆるキャラ「ミウル」の人形を買いました。相模原市民だった頃は、ここでわざわざお土産を買うことはありませんでした。▼

地元民だったころに登り損ねた標高375mの城山に登ります。


実は手すりにはこの時期「キアシドクガ」の幼虫がひしめいています。その名の通りの毒はないのですがこの手の虫は苦手なので手すりに摑まることはできませんでした。▼

イノシシの出る山道に入ります。▼

登山らしくなって来ました。▼

山頂はこちら。道しるべもあります。

根性は無いですが女坂は道が良くないらしいので男坂に行きます。▼

さすが男坂。少しばかり険しい。▼

1時間くらいで城山山頂375mに到着しました。その名の通りここにはかつて津久井城がありました。戦国時代は相模国を斐国から守る最前線として重要な拠点だったそうです

眼下には津久井湖。本来は10年前に来るべき場所だったのです。

関東平野も一望できます。

山頂からはモノレールが敷かれていました。▼

山からの下り道。相模川上流の山々と夕空が広がります。▼

あの城山の山頂から津久井湖まで降りてきました。▼

津久井湖の城山ダムも夕陽に染まっています。▼

バスで橋本駅まで帰りましょう。

乗ってきた神奈中バスは同社のゆるキャラの「かなみん」バスでした。▼

お腹もペコペコなので三種の神器を頂きます。▼

かつての地元の市内でも登ったことのない山に登ればそれはもう旅なのでした。